現在のカルチャーの源流になっていることが多い、80年代のテレビ、映画、プロレス、音楽、本、アニメなどなど1980年代カルチャーの歴史をまとめてみました。
- 1980年
- 任天堂がゲーム&ウォッチを発売
- 松田聖子デビュー、「聖子ちゃんカット」が若い女性の間で流行
- 「電子戦隊デンジマン」スタート
- 「3年B組金八先生 第2シリーズ」スタート
- 「THE MANZAI」スタートし漫才ブームに
- レイジーが異例の”ヘヴィメタル宣言”
- 「お笑いスター誕生!!」スタート
- 百恵から聖子へバトンタッチ
- 山口百恵引退
- 具志堅用高が王座防衛13回連続の世界新記録を達成
- ジョンレノン突然の死去
- 王貞治引退
- ブルータス創刊
- 田中康夫「なんとなく、クリスタル」発売
- 1981年
- 「ベストヒットUSA」スタート
- 横浜銀蝿が大ヒット
- ラフィンノーズ結成
- MTV開局
- イモ欽トリオがブレイク
- 薬師丸ひろ子がブレイク
- 「北の国から」スタート
- なめ猫が大ブームに
- 「ビートたけしのオールナイトニッポン」がスタート
- 「オレたちひょうきん族」スタート
- バラエティにとってのターニングポイント
- タイガーマスクデビュー
- 「Drスランプ アラレちゃん」スタート
- 「うる星やつら」スタート
- 「ザ・ベストテン」連続1位を更新
- 伊藤つかさアイドル歌手でデビュー
- ラジオ「坂本龍一のサウンドストリート」 放送開始
- アニメ新世紀宣言
- 「窓際のトットちゃん」が大ヒット
- 1982年
- 「笑っていいとも」スタート
- 80年代を象徴する名キャッチコピー「おいしい生活」が誕生
- 「宇宙刑事ギャバン」スタート
- 斉藤ゆう子「セブンイレブン」CMで人気に
- 君に胸キュンが大ヒット
- 映画「E.T.」が世界的な大ヒット
- 世界で一番売れたアルバム「スリラー」でMJブーム到来
- 映画「蒲田行進曲」大ヒット
- あみん「待つわ」でデビュー
- 花の82年組デビュー
- 「い・け・な・い ルージュマジック」リリース
- 物議を醸し続けた伝説のパンクバンド、ザ・スターリン
- BOØWYデビュー
- オリコン初のミリオンセールス作品
- 「AKIRA」連載開始
- 「オリーブ」創刊
- 「東京おとなクラブ」創刊
- 「タモリ倶楽部」スタート
- 1983年
- 東京ディズニーランドが開園
- 「キャプテン翼」スタート
- 「キン肉マン」スタート
- アントニオ猪木失神舌出し事件
- 映画「家族ゲーム」各賞を総ナメ
- 映画「時をかける少女」公開
- 映画「戦場のメリークリスマス」公開
- 「積木くずし」スタート
- 関西ヘヴィメタルブーム
- 尾崎豊デビュー
- チェッカーズデビュー
- Y.M.O散開
- ”おたく”という言葉が誕生
- 六本木WAVE開店
- 「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がヒット
- ニューアカ・ブーム始まる
- 1984年
1980年
<重大事件>
1億円拾得事件 / 新宿バス放火事件 / KDD事件
<流行語>
赤信号、みんなで渡ればこわくない / カラスの勝手でしょう / ぶりっ子
<ヒット曲>
ランナウェイ/ ダンシング・オールナイト / みちのくひとり旅 / スニーカーぶるーす
任天堂がゲーム&ウォッチを発売
松田聖子デビュー、「聖子ちゃんカット」が若い女性の間で流行
「電子戦隊デンジマン」スタート
「3年B組金八先生 第2シリーズ」スタート
「THE MANZAI」スタートし漫才ブームに
レイジーが異例の”ヘヴィメタル宣言”
「お笑いスター誕生!!」スタート
百恵から聖子へバトンタッチ
山口百恵引退
具志堅用高が王座防衛13回連続の世界新記録を達成
ジョンレノン突然の死去
王貞治引退
ブルータス創刊
都市で生活し、時にはアウトドア・ライフをも楽しむ大人の男の雑誌を志向、今日の男性向けクオリティ・マガジンの元祖的な存在ブルータスが創刊
田中康夫「なんとなく、クリスタル」発売
当時大学4年生だった田中康夫のデビュー作は100万部を超える大ヒット作に。その後のバブル景気におけるブランドブームを先取りした小説として評された。「ブランド小説」と呼ばれ、本作にちなんで女子大生は一時期「クリスタル族」とも呼ばれた。
1981年
<重大事件>
神戸ポートピア81 / ローマ法王初来日 / 三和銀行オンライン詐取事件 / 深川通り魔事件
<流行語>
クリスタル族 / なめネコ / ベンチがアホやから野球がでけへん
<ヒット曲>
ルビーの指輪 / 白いパラソル / セーラー服と機関銃
「ベストヒットUSA」スタート
横浜銀蝿が大ヒット
ラフィンノーズ結成
MTV開局
イモ欽トリオがブレイク
薬師丸ひろ子がブレイク
「北の国から」スタート
なめ猫が大ブームに
「ビートたけしのオールナイトニッポン」がスタート
「オレたちひょうきん族」スタート
バラエティにとってのターニングポイント
タイガーマスクデビュー
「Drスランプ アラレちゃん」スタート
「うる星やつら」スタート
「ザ・ベストテン」連続1位を更新
伊藤つかさアイドル歌手でデビュー
ラジオ「坂本龍一のサウンドストリート」 放送開始
佐野元春、坂本龍一、甲斐よしひろ、山下達郎、渋谷陽一といった当時の日本のポップス、ロックを代表するミュージシャンや評論家がDJをつとめ当時まだメディアで放送される機会が少なかった国内外のポップス、ロックを紹介して日本の音楽シーンに大きな影響を与えた。坂本の担当日の目玉企画のひとつであった「デモテープ特集」ではリスナーからデモテープを募集し、アマチュア作品を中心として流した。これには若き日のテイ・トウワや槇原敬之が投稿
アニメ新世紀宣言
「窓際のトットちゃん」が大ヒット
黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん 」が732万部を売り上げ、史上最高のベストセラーに。
1982年
<重大事件>
日航機墜落 / ホテルニュージャパン火災
<流行語>
逆噴射 / ほとんどビョーキ / ネクラ / 芸術は爆発だ! / ルンルン
<ヒット曲>
赤いスイートピー / ハイティーンブギ / 待つわ / 少女A / めだかの兄妹
「笑っていいとも」スタート
80年代を象徴する名キャッチコピー「おいしい生活」が誕生
「宇宙刑事ギャバン」スタート
斉藤ゆう子「セブンイレブン」CMで人気に
君に胸キュンが大ヒット
映画「E.T.」が世界的な大ヒット
世界で一番売れたアルバム「スリラー」でMJブーム到来
映画「蒲田行進曲」大ヒット
あみん「待つわ」でデビュー
花の82年組デビュー
「い・け・な・い ルージュマジック」リリース
物議を醸し続けた伝説のパンクバンド、ザ・スターリン
BOØWYデビュー
オリコン初のミリオンセールス作品
1982年のCD発売後、オリコン初のミリオンセールス作品でもある。1970年代までは一部のマニア受けしかしておらず、ほぼ無名に近かった大滝詠一の名が世の中の人々の間にも広まった。またこのヒットで、薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべたメニューが流行する。
「AKIRA」連載開始
東京を爆破するほどのパワーを持った一人の少年にまつわる物語、大友克洋「AKIRA」が連載開始
「オリーブ」創刊
女子大生向けの情報誌として、実用的なファッション雑誌というより、のちに「ガーリー(>girlish)」と呼ばれる、新しいタイプの都会的少女文化を提示するサブカルチャー雑誌というべき存在であった。主要読者層の想定としてミッション系、一貫教育校などの中高生や帰国子女を含み、音楽、映画、インテリア、絵本など文化記事に力を入れ、当時『オリーブ』の愛読者でリセエンヌ的なファッションやライフスタイルにこだわる若い女性はオリーブ少女といわれた。
「東京おとなクラブ」創刊
ミニコミ誌ブームの中で、サブカルチャー総合ミニコミ誌『東京おとなクラブ』を創刊。この雑誌の発行人の中森明夫は野々村文宏、田口賢司と共に新しい世代のサブカルチャーの担い手として注目を浴び”新人類3人組”と呼ばれた。
「タモリ倶楽部」スタート
1983年
<重大事件>
日本海中部地震 / 三宅島大噴火 / 蔵王観光ホテル火災
<流行語>
頭がウニになる / ジャパゆきさん / 不沈空母
<ヒット曲>
さざんかの宿 / め組のひと / ギザギザハートの子守唄 / ワインレッドの心 / もしも明日が
東京ディズニーランドが開園
千葉県幕張に東京ディズニーランドがオープン。後のレジャーランド施設に影響を与えただけでなく、日本の建築技術向上にも寄与。
「キャプテン翼」スタート
「キン肉マン」スタート
アントニオ猪木失神舌出し事件
映画「家族ゲーム」各賞を総ナメ
高校受験を控えた家庭に、暴力的な家庭教師が訪れ、多くの問題を抱えた家族が受験に振り回される様子をシュール・コミカルに描いている。松田優作が主演、森田芳光が監督した作品はキネマ旬報ベスト・テン第57回日本映画ベストワンなどを受賞した。
映画「時をかける少女」公開
原田知世主演による大ヒット映画。大林監督の代表作。同映画の主題歌「時をかける少女」は、シングル売上50万枚を超え、自身最大のヒット曲となった。
映画「戦場のメリークリスマス」公開
大島渚が監督、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティなどが出演し話題に。カンヌ国際映画祭に出品され、グランプリ最有力と言われたが受賞はできなかった。
「積木くずし」スタート
シンナーに溺れる中学1年の娘と両親の壮絶な葛藤の日々を描いた実話を基にしたドラマ。最高視聴率45.3%はTBSドラマ歴代最高視聴率として未だに破られていない。
関西ヘヴィメタルブーム
尾崎豊デビュー
チェッカーズデビュー
Y.M.O散開
テクノ、ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つで日本のみならず、海外にも影響を与えており、英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもあるY.M.Oがこの年、散開。1993年に一度再生し、2007年から再活動を始めた。
”おたく”という言葉が誕生
中森昭夫が『漫画ブリッコ』誌上で1983年6月号から9月にかけて『東京おとなクラブ』出張版として「『おたく』の研究』を連載。この中で、ガンダムファンやカリオストロファンなどの「異様さ」をあげつらい、「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を「おたく」と命名。この記事が読者からの反発を受け、1983年12月号を最後に連載中止になった
六本木WAVE開店
ビル1棟が丸ごと様々な文化を発信する拠点となり、文化人や音楽家などから高い支持を得た六本木WAVEがこの年、開店。1999年に六本木再開発のため惜しまれながら閉店。
「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がヒット
当時として画期的な赤裸々に自分のことを語ったエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラー
ニューアカ・ブーム始まる
「現代思想」など雑誌を中心に人文・社会科学の学問が注目を浴び「ニューアカデミズム」の名称とともにブームに。そのニューアカブームのきっかけは中沢新一「チベットのモーツァルト」や浅田彰「構造と力」の大ヒットが起源と言われている。
1984年
<重大事件>
グリコ森永事件 / 長野県西部地震 / 有明鉱坑内火災
<流行語>
1分間だけ時間を下さい / くれない族 / ピータパン症候群 / まる金まるビ
<ヒット曲>
涙のリクエスト / 浪花節だよ人生は / 飾りじゃないのよ涙は